![]() : OUR 10 YEARS |
|||
| [光陰矢の如しと思ったが、そうでもなかったようだ] ---YELLOW 10周年を支えてくれた、あなたにささげる!--- |
|||
![]() |
1991.12.12. OPEN グラスが500個くらいしか揃っていないなか、いきなり2000人強のオーディエンスがあつまり、パニック。そいうえば、まだラセン階段がついてなかった。あぶない。そういえば、地下1階にバブリーなイタリアン・レストラン「TANTO」があった。高かった。 12/25,28,31とUltra Nateがライブを披露。バブル!! ←オープニングのインビ 25cmX25cmとなかなかデカイ ↓右下の文章の拡大。これぞYELLOWの理念?! |
||
![]() |
|||
![]() |
1992. 暗黒の1月。あけて一発目はFransois!そんで次は今は亡きTEE-SCOTT。 9月YELLOW MAG創刊。故WALTER GIBBONSもOMERもINCOGNITOもSUPER CATもMr.FingerもALISON LIMERICKもみんなこの年、輸入産業黄金時代だったのねえ。クラブサーキット企画「霞X'DAY」も、もりあがった。 看板パーティー→WORLD CONNECTION、A.R.T.、JAZZIN'、CLUB ADDICT、BLACK &WHITE。いまと殆ど変わらないラインナップは驚異に値する?!金沢明子(ろうそくの炎が揺れない民謡歌手)さんのTECHNO SET LIVEなんてのもあった。時代よね。 |
||
|
|||
3月18日「A.R.T.」終了。変わってEAST EDGE presentsによる「ZERO」がスタート。このころまでOPENってだいたい20時が普通。今じゃずいぶん遅くなったものだ。4月「ザ・美容師ナイト」誕生!!スタート初回からいきなり1000人級のオーディエンスをあつめ、以後5年間に渡ってYELLOWのMONDAY NIGHTをお騒がせ・(おやじダンサーズだって出演してたのよ)同じく4月「SOUL VIBRATION」誕生。今やflower recordsの重鎮、高宮永徹さんのLOVE SOULなレギュラーナイトでした。 11/04:初の入場規制事態発生(ってそれまでやらずに済んでいたのも信じがたいが、兎に角)---「ZERO turbo/DJ LAURENT GARNIER」。田中フミヤ氏の「DISTORTION」がスタート。当時は毎回大阪から新幹線で登場。ああオープン時間間際の21時頃「あの〜今日DJする田中フミヤですけど、今新幹線ん中にいて…」という悲痛な電話を何度受けたことでしょう…。でも、のんびりCDかけて皆でまってたりしてて、いい時代だ。定番チューンはUR/Hi-techJazzでしたね。 X'masにはロレッタ・ハロウェイが登場。パトリックと繰り広げるラヴ・センセイションなトークはかなりアダルトな感じでした。(ちなみに後の来日@GOLDでは同じくパトちゃん、@Velfarleではちょっと困り気味なFrancois K.が相方)YELLOWがJUNGLE(後のDrum'n'Bass)に目覚めた年でした。 |
|||
カウントダウンの瞬間にラセン階段の吹き抜けからイノシが血まみれになって落ちてくるというショッキングな年明け。(仮装したスタッフがひもを華麗に滑り降りるという趣向のはずが手のひらがヒモでズル剥けた為)JUNGLEのPARTY「BOOYAKA」がスタート、「踊り方がよく分からない」と話題紛糾。 1/17土曜日5:45AM阪神大震災。胸も潰れるような情報交錯の12時間、そして被害が明らかになって行く残酷さに耐えた1ヶ月。何でもいいから役に立ちたいと、ありきたりだけど2月にチャリティーPARTYをひらきました。無報酬で参加してくださった沢山のアーティストの皆さんと集まってくれたオーディエンスのパワーで寄付金を作ることが出来ました。今でも感謝してます。ありがとうございました!!!「地震が怖い」とC.J.Macintoshが公演ドタキャン。おっと。 6月、(Staffが休憩時間にTAXIとばしてよく行った)GOLDのFINAL。みんなで行った。みんなで駐禁きられた。YELLOWであった様々な出来事よりも鮮明にあの日のことは忘れられない。そして…暗黒シーズン三度。山あり谷あり。七転び八起き。ムッシュとか細野さんとかJESUS JONESとかTHE PRIVATESとか宅八郎氏とか…時節柄ステージ系が充実。Cristal Watersはおむずかりでドタキャン、でも後日ちゃんと埋め合わせしてくれたけど。天下のジョン・マッケンローもLIVE!!(まじで。しかも3年連続…)Love RingなんてゆーコアなPARTYもありましたね。YELLOWで出来ないのでLiquid Roomの協力を得て「Love Parade前夜祭」をお引っ越し開催。思えば大きな会場をお借りしてのSpecial Partyのきっかけになった事件でした。転んでもただでは起きぬよ。(Maniac Loveにも助けていただいた。有難う〜!!) '90年代を代表する移動型HOUSE PARTY「IRO」がYELLOWにお目見え。 石野卓球氏もついにDJとして本格始動!(でもまだLOOPAじゃない)パトリシア・フィールドのSHOWなんかもあったりして…同日飯倉のLaforetを借りてTECHNOの巨大レイヴ「Made In Heaven」開催。本邦初のJUNGLE FLOOR(DJFORCE+KAJI)が出現。この日MOOCHYは二人と出会い、RHYTHM FREAKS結成となった由。HOUSEが低迷し、ハイテンションなTECHNOへの熱が高まっていた時期。なんでかんでハッピー!(?)この時期TECHNOの細分化がみじん切り状態にまでいきまくり、ハンドバッグつー今じゃ到底聞かない泡沫ジャンルまで飛び出した。12/13、TEE-SCOTTが亡くなりました。その夜、YELLOWは大荒れ。 |
|||
1996.1月、正式に「LOOPA」誕生。 3月改装休業。改装前の最終営業終了間際、皆でスプレー吹きまくり、ハンマーでガラス叩き割り、デストロイの限りをつくし、ああ楽しかった。でも壊しちゃいけないところまで間違って壊して怒られた。 4/16@Laforet飯倉「Sound Of Universe」開催:日本晴れ+桜が満開の乙な風情の中、フランキーのLOVE LOVE節。プレイ前に眼鏡をなくして「もう!DJやらないいっっ!!」とのお言葉に一時スタッフ騒然。4月…改装遅々として進まず、工事現場状態で営業再開。その時期のYELLOWを知ってるあなた!通ねえ。学園祭の仮設クラブみたいな状況だったな。「おもしろいねーコレも」なんて、あぶないっつーの。めちゃくちゃだね、我ながら…。KO KIMURAさんの「KOOL」がスタート。この年からHALOWEEN PARTYはKO君が定番になりました。 5月…ようやっと改装終了。真っ白なBAR「NANO SPACE」登場。当初はYELLOWとは一線を画す大人のためのFree EntranceのBARとなるハズだったんですが気づけば十把一絡げ、ま・いっか。「こんなん白くて掃除どうすんだよ!」などとBooingでてましたが、5年たってもKeep on 白。お掃除頑張ってます!当初使っていた可愛いグラスは毎晩10個ずつくらい消えるので普通のDULAEXにかえました。もってる人大事に使ってくれてる? おそろいのが欲しい方、合羽橋の「みのちや」で買えるよ。 6月…RESIDENT DJ AKAIからFUJIMOTOに交代。CISCO HOUSE SHOP OPEN!! 8月…いろいろあって、しばらく小さかったYELLOW MAGがまた大きくなりました。富士山ではRAINBOW2000がスタート。お山レイヴ元年か。9月…KO+TOMIIEによる「LEVEL 9 TOUR」は台風と共に日本縦断。YELLOWの「もう、水も氷も有りません!店内移動できません!!それでもあなたは入りたいんですか〜!!」「いれろ〜〜〜!!!」というエキサイトに富家君のコメント「なんかDJ BOOTHの壁が倒れ込んで来るかとおもったよ。ほんとに。殺気っていうの? 怖かったよ、あはは。」大阪あけて翌日TOKYO FINAL@LIQUID ROOMの日、台風直撃で陸路完全STOP。TAXIで東京入りした二人なのでした。 DAJAE、YAVAHN、MURPHY'S LAW、EVELYN CHAMPAGNE KING等とLIVE系もおいしかった年した。ユースケ・サンタマリアさんもレギュラーでLIVEやってたんだよ。金髪時代。 後半にかけてHOUSE爆発的復興の兆し。 |
|||
1997.HOME PAGEができました。今や累積HIT40万Overとなりました。おお。 春の訪れと共にHOUSE完全復活!もりもりエキサイトメントなPARTYが続出!!YELLOW以外でもArtistやオーディエンスの世代交代が目に付き始めた年。またKOさんやDAN K.、富家君など国内アーティストのヒット曲やMIX CD HIT作が生まれ始めた。 ※不正確な記憶だけど、このころSHIBUYA FMってできたんじゃなかったっけ(要確認希望)。 YELLOWでも「DRIVE」そして「EARTH PEOPLE」といった新しい看板PARTYが生まれ始めました。そして一世を風靡した「JAMAICNA NIGHT」がついに終わりを迎えるのです。ダニエルは養命酒をボトル3本も「テイスティ!テイスティ!」といいながら空けていた。(誰も御相伴し得ないと思うから、たぶん一人で…)またTOSHIYUKI GOTHOの「SUNDAY AFTERNOON」、小西康陽さんの「PORNO!(後のREADY MADE)」、MURO×KENSEIによるレギュラー「SAVEGE」、「Geanta presents BEAT!」といった肩の力を抜いて楽しめるPARTYが生まれはじめたのも此のころの大きな流れ。UA、ACOなどの個性的なシンガーが洋楽を好みがちなクラブ好きの心をとらえ、J-Wave発のJ-POPという言葉がクラブ民にまで浸透・定着しました。 NUYORIKAN SOULのVINALを血眼になって皆が探し回ったこともありました。 「クラブ居酒屋化」といった、古参夜遊び人からの痛烈な批判が聞こえ始めたのもこの頃。世の中は時計ブーム。雑誌はこぞってG-SHOCK特集…ご多分に漏れず我々もSEIKOA.K.A. からYELLOWモデルだしたりとかしちゃったりして。(知ってた?) 12/31のカウントダウンはYELLOW初の休業。Laforet飯倉にてCOUNT DOWN EVENTをUFOと合同で開催。ダイブによる骨折、過ぎたるお酒、撤収作業時の崩落事故など救急車三昧の年の暮れでござんした。う〜ん、あれこそ修羅場。 |
|||
|
1998. 「IRO」40回記念。perv 4周年。Kingstreet Sounds 5周年。 いまに続く「Hi-Life」や、青山CAYにおけるSunday Session「GARELLY」(DJ NORI×Alex×Kenji Hasegawa)がスタートしたのもこの年。着々と日本の「クラブシーン」なるものの年輪が重ねられていってる感じ。 ※不正確な記憶だけど第二弾、このころInter FMってできたんじゃなかったっけ(要確認希望) そんなこんな、DJ MIXが楽しめる環境がどんどん広がっていきました。 4月、WORLD CONNECTION in EMMA(後のEMMAHOUSE)スタート!!のっけからいきなり1000人オーバーのオーディエンスを集める。以後下降線なし。 Karafuto による「MASK」スタート。美しく硬質な音、緩やかな間、そして-しん-とした空間感を音にとりいれるDJが増え始める。 「KOOL」の人気は絶頂!!「KO君のあけがた」という隠語まで生まれる。(意味 は推して知るべし) FUJI ROCK FESTIVALスタート。Rainbow2000ともに雨の惨劇。でも行った人には 一生消えない素敵な想い出。 YELLOWも「お酒がおいしいと言われたい」という願いから従来のプラカップを廃止し全てグラスに移行。落下事故を防ぐため、吹き抜けにネットが張られちゃったのは、仕方がないとはいえ残念な事です。 9.09:「WORLD CONNECTION 10th Anniversary Party」積年の夢だったDJ Francois K.×LIVE JOCERYN BROWN。それが現実に。FrancoisのDJからJocelynのステージに移行し、またFrancoisのDJへ。ステージが終わって帰国するJocelynを成田まで見送ってきたスタッフがYELLOWにもどってみると…まだFrancoisは焼き肉弁当をほお張りつつDJやっていたという…。最後にかけたのはお子様の声をDATにとったもの「よかったね・」でした。 麻布MISSION、新宿CORD、渋谷HARLEM、西麻布Ring…各店舗連日大盛況、DJ志願者急増、DJ本、クラブ攻略本続々刊行とクラブが華々しく活動していた時期。 MISIAという歌姫をクラブで間近に見れた最後の時期。WATARAI
REMIXのVINALがとてつもないプレミア付きで出回っていましたね。7周年のTシャツは多方面から「最高!」とお褒めの言葉を頂きました。イラストレーション by DISKAH。 Anniversary PartyのDJはMerlin Bobbなのに…気付いたらTimmy Regisfordがプレイしていた。 Genta JIVE JAMBOREEのお練りで年も暮れました。YELLOW10年間の中で一番穏やかになだらかに行き過ぎていった美しい一年だったかもしれない。(嵐の前の静けさと、その時は誰が知り得ようか。キャ〜〜〜〜!!!) |
|||
|
1999. J-WAVE「TOYOTA MILENIUM LOUGE」の誕生で貴重なDJ SETを週末ラジオで聞けてしまうという海外の様な状況に。オーガナイザーやDJといった口べた揃いの皆さんをターゲットにしたインタビューも面白かったね。 YELLOWは…「こんな人のあんなPARTYがみたい」そんな夢が次々と叶えられてゆき、国内外を問わずエキサイティングなアーティストが揃い踏みの刺激的な毎日。その頂点を極めたゴールデン・ウィーク明け、第9の月を待たずに恐怖の大王がYELLOWヘ。そして四度目となる暗黒の季節へ突入。つかの間の夏を経て、五度目の暗黒期へ。この年の通算営業時間は実に例年の半分でした。風俗営業法という法律による規制への曖昧な態度が招いた、いわゆる身から出た錆でした。 HALOWEENもAnniversaryもできなかった1999年。この時、心底「Anniversaryの迎えられる幸せ」を知った。で、YELLOW存亡の危機。それでも「続けよう」と決めました。お休み期間を利用してDANCE FLOORのフローリングを張り替え、DJ BOOTHをパワーアップ。クレイジーと言われても続けたかった。 現在の日本の法律では「24時以降ダンスフロアで自由な踊りを踊る」という行為が禁止されています。純粋に踊る事、それ自体は法で規制されるべき行為ではないと信じて、私たちは今、法律改正を訴えかけようとしています。だから、皆さんにもお願いが有るのです。ひとつは「18歳となり高校就学時期を経過してから後にクラブにいらしてください。」ひとつは「何歳の方であっても常に身分証明書はご携帯ください。」さいごに「違法行為・違法薬物をクラブから遠ざけてください。」と、いうこと。どうかご理解・ご協力ください。 1999年に沢山の方々に御かけしたご迷惑を決して忘れることはできません。つらい時期を支えてくださった皆さまのくれたエネルギーをいまも常に感じています。御詫びも感謝の気持ちも表現できないくらい大きくて、だからこその10周年とつくづく思います。皆さんがくれた10周年です。大切にしっかり迎えます。これは、この先も、YELLOW以後もずっと変わらず忘れたくないことです。 |
|||
2000.世を挙げてのミレニアム。ゆっくり、そろそろスタートしたYELLOW。復活を暖かく受け入れてくれた皆さまの心意気に涙。DUBや音響系のアーティストへの支持が今までになく高まり、自然YELLOWにもDUBBYなヴァイブレーションが流れ込んできました。「HELLA TIGHT」やMOOCHYによる「FOREST」は現在までYELLOWで続ける事が出来なかったけれど、YELLOWにキッカケをくれたPARTYだったな。 「EARTH PEOPLE」定期開催、終了。STAFFのやりたい事とオーディエンスが求めるモノとのギャップという悩みが生まれた時期。 しかしながら「夢」の最後の砦的存在、MAD PROFESSORやDEEP DISHの公演が実現し、すこしずつ新しいYELLOWのあり方が見え始めてきたのも同じくこの時期。 本当に久しぶりのReggae Party「BURNIN'(後のKing Of Reggae)」も始動。ほんとに愛してる人がいっぱいでいい感じ。大沢伸一さん、田中知之さんの月替わり金曜レギュラーも固定。確実に間口広々懐深くプロジェクト(?)推進。 9月…卓球氏のマンモス・レイヴ「WIRE」前夜祭開催。出演アーティストが勢ぞろいしてご歓談。なんだか物凄かった。そーいえば、Chemical Brothers新譜試聴会なんて面白いパーティーもあったぞ。渋谷の公衆トイレがChemical Brothers仕様トイレットペーパーだらけになったの知ってる? 出演者シークレットで行ったDJ HELL&ZOMBI NATIONも異様な盛り上がりを見せて面白かったな。 TECHNO界に遊び心が広がったみたいだ。 11月…「CREAM IN TOKYO」スタート。今までヨーロッパ弱目のYELLOWに新風が吹 き込み驚いた。 12月…Louie Vega→DEEP DISH→Francois K.3連ちゃんという、凄いんだかめちゃくちゃなんだか判んない事もしてみました。このときルイのDJ BOOTHにフランソワが遊びに行き、見てたらやりたくなった? ルイのDJにちょっかいだし始めた。そのうちルイがセレクターでプレイがフランソワになり、やがて…ルイは照明卓に…!!DJフランソワ、照明ルイ…。いいのかなあ〜。でもルイは楽しそうにしていた。いい人だ。その話をDEEP DISHにしたら「げげ。フランソワがBOOTHにきたら緊張してDJなんて出来ないよ。」とのコメント。あらフランソワってば、凄い。 そしてご自身のPLAY日は「YELLOW 9th Anniversary」!!2年ぶりのAnniversaryにスタッフ燃え燃え。GRAND OPENを越える花台の列に感謝感激。心底かみしめる「ああ9周年」。涙腺ゆるみまくりで大変。 前日伝えられたフランソワの「みなさんの記念日ですから、VINALもってきてくれたら、ぼく、かけます」とい慈悲深い御言葉にスタッフ一同感激してレコードを持参。「フランソワならかけてくれる」と結構めちゃくちゃなセレクトが集まりました。が、かからないぞ〜!!しかも、もって帰っちゃったぞ〜!!(後日空輸にてご返却)しかも「次の日があるから早く辞めます」って言ってたのに、時間いっぱいいっぱいだぞ〜!しかも「こんな時間になってしまって飛行機に遅れたら大変です!!」と逆切れしてたぞ? その全てに納得がいく、側にいた方のコメント…「彼はYELLOWを肌で感じて、当初よりもずっと気持ちを深めたようでBOOTH入り前にチェックアウトまでして全部車に積んでギリギリまでやるって決めてきたみたい。レコードを運ぶのを手伝おうとしたら、(気が逃げちゃうから)レコードには触らないでくださいって全部自分で運んでいた。」涙ダーーー。 その日、延々続く入場規制にガレージで「フランソワ週末にやっちゃ駄目ですよお」と仰しゃった方、私達もつくづくそう思いました。今年は水曜日です(是非!お越しくださいね!!)。あの時、もともとのハスキーヴォイスをさらに嗄らして「こんなところで待って頂くために、あなたに来てもらったんじゃないのに、ほんとに残念で…」とわめいていた店長の言葉は本気だったんです。 2001年へのカウントダウンは、嬌声とレナード衛藤氏による和太鼓連打の轟音の渦に飲み込まれ、何がなんだか判らない間に15分も経っていたという異常にトランシーな状態で迎たことでした。も〜わっけわかんね〜よ!…これが21世紀型YELLOWなのではないでしょうか。どうすか。 |
|||
|
2001. 10年で随分変わりました。オーディエンスもSTAFFも両者の関係もクラブのおかれている社会的状況も。建物も設備も随分古びてきました。空調おかしくって大変ご迷惑おかけしてます。 なのに…!!カレンダーを見返してみると、期せずして集大成のようなラインナップが出そろった2001年。10年前と大筋は変わらないところが、我ながら凄いというか呆れるというか。いいのかこれで。でもまあ、これがYELLOW。つくづくYELLOW。こだわりとか持たずに、自然にこうなったのでいいのではないかと思ってしまってますが。いいよね。基本はYELLOW自身が「うっひょ〜」と期待に胸を膨らませ興奮できる事をし続けるってことで。 10周年を迎える12/12は区切りではなく、そこから「始める日」にする予定でいろいろ企んでいます。皆さんからもらったエネルギーと心意気に十二分に御返しするまでは、YELLOWくたばれないです。ご恩返しはこれからだよ〜!!みなさん本当にありがとう。 ほんとにほんとに、ありがとう!!みんな愛してます。 |
|||
![]() Copyright (C) 1997-2001 Space Lab Yellow All Rights Reserved. info@club-yellow.com |
|||