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OCTAVE ONE
-オクターブワン-
[2002.09.07.(sat) / 03.04.25.(fri) / 06.08.18(fri)] |
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OCTAVE ONE (Lawrence、Lenny、Lynellの3人のBurden兄弟)
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Burden Bros.ことLawrence、Lenny、Lynellの3人兄弟は、幼少の頃からあらゆる楽器を嗜む、いわゆる音楽一家であった。彼らは、80年代のデトロイトWDRQ-FMでプレイしていた伝説のDJ「THE WIZARD(JEFF MILLS)」の影響から、クラブでの仕事を始め、これも伝説となった「MUSIC INSTITUTE」にて、デトロイト・テクノの黎明を体験する。その後、ドラムマシンとシンセサイザーを入手し音楽製作をはじめ、89年にレーベル[430WEST]を設立し、OCTAVE ONE名義による「I Believe」を発表。デリック・メイのレーベル[TRANSMAT]からもRemix盤がリリースされ、デrュー・トラックにして世界的ヒットを記録。この曲によって、一躍デトロイト・テクノ第二世代の一角を担う地位を確立する。中核であるLawrence、Lennyの二人は新しいユニット「Random Noise Generation」を開始。Jazz/Disco/R&Bなど、自身らの音楽背景を実験的に発展させ、テクノ・ミュージックに取り込むというテーマのもと、数々の名作を生み出す。この名義での代表作「Falling in Dub」は、91年の"LOVE PARADE"のテーマ曲になる程のビッグ・タイトルとなった。デビュー以来、破竹の勢いで活躍してきた彼らは、それまでの10年間を総括するかの如く、代表作を集めた2枚のベスト盤的アルバム『The Collective』『The Living KeyHE』を発表。また新たな起点と なる1曲「Black Water」を00年にリリース。世界中でフロア・アンセムと化したこのテック・ハウスの名曲が、彼らの21世紀の方向性を決定づけることとなる。

DJとして最も活躍しているLawrence Burden |
そして「Black Water」の商業的な成功(世界中で30以上のコンピ盤に収録され、それらの総セールス数は100万枚に到達)を得て、今までのリリース・ペースを一旦スロー・ダウンさせ、新たなディレクションを打ち出すためのみに時間を費やし、2004年に遂にOCTAVE ONE名義にてアルバムwThe Theory Of Everything』を発表。Ann Saundersonを再度迎えた「Black Water」の延長線上の如き楽曲から、ヒップホップ・チャートの上位にランク・インしそ うなダーク・ラップ・トラック、"Massive Attack"のRemixを思い出させるようなダウン・テンポ、さらにはロンドン録音で、12編成のオーケストラ(Urban Soul Orchestra)を迎えて編集し直した「Black Water-String Mix」まで、初のオリジナル・フル・アルバムに相応しい内容となった。翌2005年にはRandom Noise Generation名義での初のフル・オリジナル・アルバム『Reign』を発表し、彼らが語るところの『音楽と魂の調和がとれているオクタブ・ワン、そのウラ側にあるカオスを解放しているのがランダム・ノイズ。オクタブ・ワンをテクノから出発した現在進行形のソウル・ミュージックとするなら、R.N.G.はマシン・ソウル・ミュージック。カオスの解放に伴うマシンの偶然性の美学。』が完成したのだった。そしてこの秋には初のDVD作品『OFF THE GRID』のリリースを予定している。[2006.8月現在]
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OSUNLADE
-オスンラデ-
[2003.05.17.(SAT)] |
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独自の音楽を創造し続けるOsunlade。80年代後半から活動を始め、90年代中期、クラシックソウルやジャジーな音へと傾倒していく。New
Soulの旗手Musiq Soulchild、Eric Benetからグラミー賞受賞アーティストPatti Labelleまで、多くのアーティスト達を手がけ、その独自の音により支持を得ていく。そんな中、アフリカの古代哲学イファに出逢い、音楽による世界とのコミュニケーション、彼自身の生活をよりスピリチュアルなものへと導くべく、レーベルYoruba
Recordsを立ち上げる。2001年、すべてのミュージックラヴァーズへ向け、Soul Jazz Recordsよりアルバム「Paradigm」をリリース。現在、ハウスというジャンルを超え、4
Hero、Incognito、Shazz、India Arie、United Future Organization、Zero 7などのプロジェクトに参加。また、Yoruba
Recordsからもオリジナル作品をリリースしていく予定。 |
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o.n.o/tbhr
http://www.artvibes.com/jp/blueherb/
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北海道出身平岸在住。THA
BLUE HERB名義で1997年よりシングル4枚、アルバム1枚をリリース。その後多くのライブを経てライブDJを現在のDJ DYEに任せ、単身海外へ流浪の旅に出る。帰国後、"V.A.
/ ONLY FOR THE MINDSTRONG"、"O.S.T. / 43-26"に参加。2002年5月、THA
BLUE HERBの2nd ALBUM "SELL OUR SOUL" をリリース。2002年9月にゆらゆら帝国のドラマー柴田氏、ASA氏、SAD-HEROらとSHIGAMを結成し、実験的アルバム"BEAUTY"を制作。2002年末よりソロプロジェクトを12inch'
Vinylから開始し、2003年2月にアルバム"SIX MONTH AT OUTSIDE STAIRS"を発表する。再始動したライブ活動以降も活発な創作活動を多く予定している。 |
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Orin
Walters a.k.a. Afronaught
(BUGZ IN THE ATTIC / Bitasweet)
-オリン・ウォルタース/アフロナウ-
[2003.08.22(fri)/2005.03.04(fri)]
http://www.bugzintheattic.net/
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Seiji、Kaidi
Tatham、Daz-I-Kue等も所属するウエスト・ロンドンのクリエイター集団"Bugz in the Attic"の代表格であり、今や世界中にそのムーブメントを広げ続けるブロークン・ビーツ・シーンの最重要人物Orin
Walters。Bugz in the Attic名義でJazzanovaやMacy Grey等数多くのリミックスをドロップし続けるかたわら、彼等が主宰する"Bitasweet"レーベルからも常に良質な作品をリリース。またOrin
Waltersのソロ名義"Afronoaught"でも永遠のアンセム・チューン「Transcend me」を始めとした多くの話題曲を生み出し、既に数多くのDJ達がチャート等に挙げているビッグ・チューン「Alison
David / Dreams(Afronaught Remix)」もリリース前から大きな話題となっている。現在ロンドンで最も熱いパーティと言われている彼のレジデント・ナイト"COOP"@Plastic
Peopleでも高い評価を得ている彼のDJプレイは、Patrick ForgeやJazzanovaがフェイバリットDJとしても挙げるトップクラスである。 |
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大沢伸一
(MONDO GROSSO)
-オオサワ・シンイチ-
http://www.shinichi-osawa.com/index.html |
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FEARLESS
RECORDS主宰
アーティストMONDO GROSSOとして、全世界25ヶ国で発売された4thアルバム『MG4』、大胆にハウスビートを導入した5thアルバム『NEXT
WAVE』と、常に日本の音楽シーンを牽引する作品をリリースし続ける一方、プロデューサーとしても数多くの音楽的評価の高いヒット曲を生みだしている。自身のレーベルFEARLESS
RECORDSから、全面プロデュースによる信近エリのファーストアルバムを昨年12月にリリース。MIX-CDのリリース、さらにはリコメンドする海外アーティストの作品のリリースなど、その積極的な音楽活動はデビューから13年経った現在でもとどまることを知らない。[2006.2月現在] |
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OSAMU
M
-オサム・エム-
[2004.08.12(thu)]
http://www.osamum.com/ |
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「OSAMU
Mは日本をリードするプログレッシブハウスDJそしてプロデューサーであり、その実力は世界から高い評価を得ている。 彼のKISS100での
セットの数々は必ずリスナーを唸らせる。 注目すべき存在だ。」 - JOHN DIGWEED
1995年よりDJ活動を開始。1999年4月からMANIAC LOVEにて自身のパーティー「OPERA HOUSE」をスタートさせる。2001年4月からMANIAC
LOVE「SUBMERGE」のレジデントとして 、オープニング・パーティ−では STEVE LAWLERと共演。その才能 がJOHN
DIGWEEDに認められ2002年1月にイギリスのKISS100 FMの彼の番組でスピン。2002年7月には2週間の中国ツアーを行い成功を収める。2002年9月にはカナダのPROTON
RADIO 「THE FEATURED ARTIST OF THE WEEK」にピックアップされ同番組で2時間セットを行 う。2003年5月にはスイスツアーを行い、JOHN
DIGWEEDのKISS100 FMに再び出演。 その後も11月 WOMBでJOHN DIGWEEDと共演し、この時のセットが2004年1月に前出KISS100
FMで放送され、正に日本から海外に向けて様々なプレゼンテーションができるアーティストであることを証明する。 2004年3月アメリカ西海岸ツアーを、4月ルーマニアツアーを行う。トラック制作も盛んで、世界のトップDJ達にプレイされている。
2003年11月にリリースされたOSAMU M「MOON OVER / SHELTER」(WOMB RECORDINGS)はBALANCE
RECORD POOL CHARTの4位を記録した。[2004.8月現在]
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OPTIMO
(JD Twitch and JG Wilkes)
-オプティモ-
[2005.06.17(fri)] |
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グラスゴー。音楽的に圧倒的に層の厚いとされる大英帝国にあって、その中でも特にアーティスティックで、幅の広くて深い音楽好きが集まる街で現在知られるグラスゴー。SLAMを初めとして、現在デトロイトのプリンス、クロード・ヤングも実はその居をグラスゴーに構えているのはあまり知られていないかもしれない。OPTIMOの二人はそんなグラスゴーで毎週日曜日、1000人のクラバーでびっちり埋まった自らの名前と同じ名前のパーティで欠かさずレジデントを務めている。JD
TwitchとJG Wilkesの二人組みであるOPTIMOは今やスコットランド、グラスゴーのアンダーグラウンドシーンのエッジに君臨するばかりか、パリ、ベルギー、ニューヨークなどのカッティングエッジなダンスミュージックファンの間では既に相当の噂になっているのだ。
クラブナイト『OPTIMO』では最近では珍しいドアポリシーもあったりする。ヴェニューであるジャマイカ・ストリートにあるザ・サブ・クラブに入るためには誰もが平等に列に並ばなければならない。スキップは絶対禁止だ。ホームページ上ではマドンナや、元スコットランドのセルテックに所属した国民的ヒーロー、エンリック・ラーションが来ても、みんなと同じように並ばなくては入店できない、と宣言している。本来のクラブってこんなもんじゃなかったか?このパーティに魅了されて、これまでにプレイしたアーティストのほんの一部の名前を挙げるとすれば、peaches、the
rapture、michael mayer、Chicks On Speed、Jimi Tenor、Lcd Soundsystem、Franz
Ferdinand、Lee Scratch Perry、Mad Professor…もはやただのクラブではないことがわかっていただけるだろうか?
最近、ヨーロッパのアンダーグラウンドシーンでは小箱がアツいとよく聞く。『OPTIMO』はまさにそんな小箱パーティの代名詞だ。
そして、アーティストOPTIMOは、パリのレーベルTIGERSUSHIから遂にリリースしたファーストMIX CD『Kill The
DJ』シリーズのCD1でパーティ『OPTIMO』のスピリットを忠実に表現し、CD2には早い時間にかける曲や、OPTIMOクラッシックスとも呼べるトラックをミックスせずにコンパイルした。
さらに時を隔てず、The GlimmersやBlack StrobeのIvan Smaggheな度も所属するベルギーのレーベル、Eskimoからリリースした『Psyche
Out』ではほぼすべてのトラックを10年以上も前の物しか使わず、それでいて、最高に新鮮でサイケデリックな秀逸なダンスミックスコンピレーションに仕上げた。「新しいキラー・トラックを多く使ってこのようなCDを作るだけだったらすごく簡単だっただろう。でも、僕等はこのCDに入ってる曲はすべて、簡単に色褪せず、時間を越えて永く生き続けるものだけにしたかったんだ」。
『OPTIMO』は1997年の11月にスタートした。それまで、10年以上にわたり、ハウスやテクノのDJとして活動してきた、Twitch
にとって当時一番やりたくなかったことはまたもうひとつのテクノ/ハウス・パーティをグラスゴーに作ることだった。「つなぎ目のわからない」簡単なミックス手法とサウンドにうんざりしていた。退屈だった。自分の中に存在する狂気をどこかに向ける必要があった。
そんなわけで『OPTIMO』を作ったのだった。当時グラスゴーで唯一パンクロックのスピリットを持っていたベルファスト出身のプレイボーイ、Jonnie
Wilkesに声をかけ、二人で始めた。
パーカッシヴで官能的なファンク、ヒップホップ、パンク、ノーウェーヴ、ディスコ、ゲイ、ストレート、アート、フォトグラフィーとなんでもありな80年代初頭のニューヨーク、つまり現在のアート、音楽、クラブシーンにもっとも影響を与えたであろうあの時代のスピリットへの回帰を試みたのである…。
最初は80人程度のパーティで、照明をレンタルするお金もなかったが、二人は最高のパーティを続けた。どちらかというとバンドの関係者が多かったということもあり、ライヴのアクトをよくとりいれた。音楽的には週を重ねるごとにエキサイティングになっていき、ポスト・パンク、エレクトロ、50年代のスウィング、ディスコ・クラシックス、パーカッション、サブライム・ハウス、さまざまな種類のテクノ、そして80年代のポップど…一見なにも関連性のなさそうな入り乱れたジャンルのハイブリッドがなぜか、うまく絡み合っていった瞬間であった。
わずか、1年で250人を超えるクラウドを集めるようになり、今では毎週日曜日に1000人以上を集めるアンダーグラウンドを象徴するパーティになった。他の人とは同じではないオリジナルなことで、何かとてつもなく特別なことをする機会をただただ大事にした結果だった。
Twitchはいう。「これから一年後、ひょっとしたら誰もOPTIMOのことなんか気にもしなくなっているかもしれない。もしかしたら、みんな飽きてしまって次のCOOLなことにはまっているかもしれない。でもそんなことは関係なく、僕等は何がCOOLだったかなんて知らないフリして何かをやろうとしてるはずだ。運がよかったら、僕等も進化して、レーベルをつくり、グラスゴーに世界中から最高のアクトを紹介し、地元のアーティストを大切にし、クラブでのマーケティングの美学ってやつを徹底的に否定しているだろう。組織は嫌いだが、音楽を作っている人、アートが好きな人、ウェブサイトで文章が書ける人、クラブでスライドをデザインできる人とかはいつだって探している。みんなに『OPTIMO』にかかわってほしいんだ。いろんなバックグラウンドや人種、意見、信念をもった人々の面白いミックス、そんな日曜日の夜をこれからもエンジョイしてほしいと思っている。多様性や、ユニークで特別でオリジナルなことを喜んで、『OPTIMO』が生きている間に、みんなでできるだけたくさんのことがクリエイトできたら最高だね」。
[Text: K.T./2005.6月現在] |
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ORQUESTA
DE LA LUZ
-オルケスタ・デ・ラ・ルス-
http://laluz.jp |
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1984年秋、日本人サルサバンドとして東京で結成。1990年1stアルバム『デ・ラ・ルス』を日本、アメリカでリリース。全米ビルボード誌ラテン
チャートで1位を獲得し、以後11週間連続キープする快挙を達成。以降、全米、中南米、ヨーロッパを含む世界22カ国をツアー、計6枚のオリジナル・アルバムの発表。
97年解散。 そして2004年、この伝説のスーパーバンドが新生デラルスとして復活!より激しく、より熱く、世界に類を見ないハードサルサバンドと進化した。05年7月に新生としての2nd
Album『ARCO IRIS』をリリース。[2005.8月現在]
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沖野修也
(KYOTO JAZZ MASSIVE)
-オキノ・シュウヤ- http://www.kyotojazzmassive.com/
http://ameblo.jp/shuya-okino |
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DJ/音楽プロデューサー。
DJ/クリエイティブ・ディレクター。KYOTO JAZZ MASSIVE代表。TOKYO CROSSOVER/JAZZ FESTIVAL発起人。ここ数年は、ホテル、映画館、銀行のサウンド・プロデュースも手掛ける等クラブの枠組みを超越した活動で、日本人の音楽センスの更なる向上を画策している。実は、DJ KAWASAKIの全ての作品を共同でプロデュースしている陰の仕掛人。最新著作は、『クラブ・ジャズ入門』(リットー・ミュージック刊)。[2008.1月現在] |
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DJ
OJI
-DJオージ-
[2006.05.19(fri)] |
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NYブルックリン生まれ。13才の頃ヒップホップに目覚めDJを始める。Stevie
Wonder、Marvin Gaye、Earth, Wind & Fire、James Brown、Chaka Khan、Patti
LaBelle、Michael Jackson、Grandmaster Flash等のアーティストに強く影響を受けるが、80年代後期にヒップホップにヴァイオレントな要素が増え、ヒップホップ系のクラブがクローズし始める頃にハウスと出会い、初めて行ったParadise
Garageがその後の彼の方向性を決めてしまう。Larry Levanから圧倒的なインパクトを受けているものの、Tony Humphries、Timmy
Regisford、Merlin Bob、David Morales、Louie Vegaからも多大な影響を受ける。
1987年にメリーランド州バルティモアに拠点を移してからは地元のクラブで積極的にDJを始め、シカゴ出身のDJ Popeと知り合ってからは、共にバルティモアのラジオでハウスミュージックプログラム”The
Underground Experience”を手がけ、この番組は12年にも渡り土曜の夜に放送された。
2人は[POJI Records]というレーベルを設立し、それぞれの作品、コンピレーションをリリースしている。その他、DJ Oji
& Una 「We Lift Our Hands In the Sanctuary」[SancSoul Records]、BITS
「Go Sister, Soul Sister」[Ministry of Sound]、DJ Oji & Sande 「Twistin,
Turnin」[Yellorange]、DJ Oji & Carolyn Victoria 「He's My DJ」 「Everything
U Want」[King Street]、DJ Oji 「Esteban」[Ibadan]、DJ Oji & Una 「Nobody」[West
End]と、個人でも他レーベルからリリースを重ねている。[2006.5月現在]
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