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Mark
Grant
-マーク・グラント-
[2004.03.05(FRI)]
http://www.djmarkgrant.com |
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マーク・グラントはシカゴで、もっとも多くのレギュラーを持つDJの1人であり、ファンキー/ニュージャズをミックスしたハウス音楽におけるもっとも優秀なプロデューサー、ミュージシャンでもあり、自身で設立した「Cajual
Records」レーベルが大成功した後も、DJ、プロデューサーとして世界各地を飛び回るかたわら、作曲も続けている。
ミュージシャン、プロデューサーとしては、「Chicago Connection」で「Dancin'」をヒットさせたほか、「Black
Fibre」としてDonna Blakelyと組んだ作品は「SubUrban」にも取り上げられ、それをきっかけに、彼のGuidanceレーベルにおける他の作品も賞賛され、そのいくつかは彼のベストと言われるようになった。また、NYの注目レーベル「i
Records」や「Velocity」でもグラントの作品はリリースされている。なお、彼のコンピレーションCD「Taste of Cajual」は全米「トップ15アルバム・オブ・ザ・イヤー」にも輝いている。リミキサーとしては、Braxton
HolmesやGlenn Underground、Andre Harris、Green Velvetといったアーティストを手がけ、そのいずれも成功させている。特に、「Spirit
of The Black Ghost」や「Fly With Me」はいまだに世界中のクラブでプレイされている。
DJとしては、トルコ、ベルギー、パリ、フィンランド、ハワイ、サンフランシスコ、LA、ラスベガス、トロント、モントリオール、東京などを巡りつつも、シカゴでの彼の長年のレジデントであるBoom
Boom Room (Red Dog/Mondays)とPleasure Trip (Mad Bar/Fridays)は続けている。[2004.2月現在] |
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Mateo
& Matos
-マテオ & マトス-
[2004.03.19(FRI)] |
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John
MateoとEddie Matosからなるプロデューサー・ティーム。ニューヨークのプエルトリカン・コミュニティ出身のふたりは、70年代後半からダンス・ミュージックに興味をもちはじめ、ともにShep
PettiboneやTony Humphries、Jonathan Fearingといった人気DJたちが華麗なテクニックを披露するKiss
FMやWKTUのミックス・ショーを貪るように聴きあさっていた。85年の夏、すでにDJとしてアンダーグラウンド・シーンの片隅で活動していたJohn
Mateoのプレイを耳にする機会にめぐまれ、これに自分と同じ臭いを嗅ぎとったEddie Matosは、即座にピンときた勢いで思い立ち、その若き無名のDJへのコンタクトを取りつける。運命に導かれるように引きあわされ、同様の音楽ルーツをもつ点で親友となり、すぐに意気投合したふたりは、その瞬間からMateo
& Matosというコンビとしての活動を開始することになる。この当時、Heart ThrobのメインDJとしてアンダーグラウンド・シーンで人気沸騰中であったLittle
Louie Vegaとの親交をもつようになったふたりは、このプエルトリカン・コミュニティ出身の大先輩から、レコーディング・スタジオでの音の編集などのプロデュース・ワークのノウハウを見様見真似で学ぶことになる。86年から89年にかけて、House
Nationといったクラブ・パーティから名もないオールド・スクール・スタイルの街角のブロック・パーティにいたるまで、数えきれぬほどのDJギグをコンビで精力的にこなしていったMateo
& Matosは、彼らの永遠のアイドルであるLarry LevanやTee Scott、そしてTony Humphries、Shep
Pettiboneといった偉大なDJたちからの多大なる影響を、我流で消化し、ラテン系特有のソリッドに跳ねるドラム・シークエンスとソウルフルな歌心を融合させた独自の音楽スタイルを、次第に確立させていった。こうして、DJプレイだけでなく、ダンス・トラック中心の楽曲制作のプロダクションをもスタートさせる方向へと本格的に踏み出したJohnとEddieは、いきなり89年の末にレーベル、Final
Cutを設立すると、ここから自らのプロデュース作品を次々と発表していった。まだまだ一般的には無名な存在であったFinal CutのJohn
MateoとEddie Matosによる、斬新な解釈で展開されるディープで地味渋なハウス・トラックは、実際にTony HumphriesやLittle
Louie Vegaのフェイヴァリットとしてクラブやラジオで頻繁にプレイされることで、徐々にシーンの新たな注目株として浸透してゆくようになった。このFinal
Cut期の大きな成功をうけて、93年以降のMateo & Matosは、一気に活動の幅をひろげてゆくことになる。King Street
Sounds、Nite Grooves、Spiritual Life Music、Freeze、Henry Street、Nervous、Fourth
Floorといったニューヨークの名だたるハウス・ミュージック専門レーベルをはじめとし、LargeやDefectedやGlasgow
UndergroundといったシカゴからUKにまでいたる多くの有名優良レーベルを股にかけ、怒濤のごとくダンス・トラック中心のシングル作品を大量に発表していったのだ。ジャズやファンクやディスコの古き良きグルーヴを巧妙に今様のハウス・トラックにトランスレートしてみせる、Mateo
& Matosの職人技級ともいえるプロダクション・ワークは、非常に高い評価を得ており、リミキサーとしても彼らは数多くのレーベルに質の高い作品を残している。また、DJアクトとしても、シングル作品のリリース元が全世界規模になってきていることに比例するように、これまでに少なくとも30ヶ国以上をツアーで訪れ、それぞれの都市のローカルなアンダーグラウンド・シーンで名の通っているクラブというクラブを定期的に精力的にまわり、定評のある熱血のパフォーマンスを敢行している。これまでにMateo
& Matosは、Glasgow Undergroundからの『The Many Shades Of Mateo &
Matos』と『Enter Our World』という2枚のオリジナル・アルバムをはじめ、シングルの編集盤やミックス作品なども含めると計6枚ものアルバムを発表していることになる。そしてまた、Nite
Groovesの人気コンピレ−ション・シリーズである『Abstract Afro Lounge』や『Abstract Latin Lounge』には、常にアルバムのテーマやコンセプトにそったMateo
& Matosらしい多くの楽曲を提供しており、すでにシリーズ常連組の一員としてもすっかり定着している。そうしたKing Street
SoundsとNite Groovesでの、彼らの持ち味を十二分に活かしたラテン・フレイヴァーとアフロ・ムードに溢れる傑作トラックの数々を総括するアルバムが、04年の春に発表される『Essential
Elements』である。Mateo & Matosが自らノンストップ・ミックスも担当する予定となっている、このアルバム『Essential
Elements』には、彼らの熱くタイトなDJギグそのままの興奮と醍醐味が詰め込まれた極上のものを期待することができそうだ。キーピン・ザット・ディープ・ハウス・ヴァイブ・アライヴ![2004.2月現在] |
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MUTINY
-ミューティニー-
[2004.07.03(SAT)] |
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マイアミ・ボート・パーティ、イビサ・プールサイド・セッション、Mutinyはディラン・バーンズとロブ・デイビーの2人組。これまでも多様なシングルをリリース賞賛され、幅広いファンに人気を得ている。DJ
Sneakからは「すばらしいディスコ・グルーブとマインド・ブローイングなヴォーカル」とコメントされ、そして、MAW(masters
at work)はMutinyの「Bliss」を大変気に入り、彼のUSレーベルからライセンスする程である。ディランとロブはジャズとレゲエをバックボーンに育っている。ディランはサフォーク、ロブはバーミンガムからわざわざ通っていた。ロブがTodd
Terryの初期のサウンドに影響を受けている頃、ディランはロンドンに移り住み、ファンク・ジャズ・バンドで演奏していた。そしてサイモン・ラットクリフという、もうひとりの熱狂的ジャズ・ファンク・ギタリストに知り合い、ヘリコプターという名義で跳ねるピアノのフレーズが印象的なハウス・トラックをプロデュースし、それはハウス・クラシック「On
The Way」などでも知られている。その後サイモンはフェリックス・バックストンとパートナーを組みBASEMENT JAXXを結成。またMutinyの1stEPもそのサイモンがBASEMENT
JAXX参加以前にサイモンと共に作られている。
'95年、ディランは自身のレーベル、サンフラワー・レコードを設立し、ロブと組むこととなる。ロブはすでにトミー・ボーイなどで数々のハウス、ヒップ・ホップのリミックスをプロデュースしているバックグラウンドを持っていた。ロング・プレイされたあの「In
The Now」は、'01年にリリースされた。Mutinyの4/4ステレオタイプを否定し、楽しめるパーティとは?という彼等の本能的センスを象徴する作品となった。
'02年からのMutinyはもう無敵である。Robbie Williams、Audio Bully、gus gus、Maxi Jazzをリミックスし、サンフラワー・レコードから自身のミックス・コンピレーション・アルバムをリリース。そして新たな所属レーベル、Underwaterからファーストトラック「Ya
Self」リリース。この「Ya Self」EPにはダーティなミックスが3曲が収録されている。独特でツイストされたグルーブ、カジュアルでレイジーなボーカル・チャントの中にもタイトにロックされている。彼等のフルなクラブ・ミックスをダンスフロアーで感じて欲しい。そして、3am頃、完璧なまでに作り上げたブレイクダウンを目撃するのだ。'03年に入り、MutinyはUndrewaterよりリリースするべくセカンド・アルバムを録音中。リリースは『Underwater/Episode2』の後、2004年の前半頃になるであろう。その合間にUKだけでなくワールドワイドなDJギグ、フェスティバルにも参加。9月には日本にもMondo
Grossoに招かれ来日を果たしている。[2004年6月現在] |
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DJ
MAAR
(Rad Rock/Dexpistols/Nitelist Music)
-マー-
http://www.nitelistmusic.com |
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NITELIST
MUSIC所属。NF404 A&R、Rad Rock、Dexpistolsとして東京を中心に、アジア、ヨーロッパへとAround
the Worldに活動中。3decks、2CDJs、1samplerを駆使し、HOUSE、TECHNO、HIP HOP、ROCK、BREAKSを素材に、BPM
130で料理するMan Machine DJ。
今までに、[General research presents Life E.P ]のRemix、大型クラブaegHa初のMix CD[
ageHa Vol.00 ]の担当、Walkman25周年アルバム[ WKM]への楽曲提供( Sunday morning )等も行っている。最近では、DJ
DARUMA(ROC STAR)とのBollocksユニット[ Dexpistols ]でMix CDをリリースし、レーベルNF404も立ち上げ主宰する。[2004年7月現在] |
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DJ
MASTERKEY
-DJ マスターキー-
[2005.11.18(fri) ※出演記録調査中]
http://www.thelife.jp/ |
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クラブのみならずラジオ、TV、雑誌と様々なメディアで活躍中の、泣く子も黙る御存じ日本一多忙なHIP HOP DJ。80年代後半に単身でNYに渡り、90年代中盤にBUDDAH BRANDの一員として帰国し、日本のヒップホップ・シーンの隆盛に貢献。同時に“パーティースタイル”をここ日本にも定着させ、「Daddy's House」等のレギュラー・パーティーを次々と成功させる。“THE LIFE ENTERTEINMENT”設立後は自身の名義でのアルバム3タイトルを立て続けにヒットさせ、ミックスCDも現在までに6枚リリースしている。04には自身のブランド「ROCK SMITH」を開始し、DJ潤[ク/レーベル運営/新人育成等をこなし、ハーデストワーカーとして積極的に活動中である。[2005.11月現在] |
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森田昌典
-モリタ・マサノリ-
[2004. Apr-Aug. HIGHJACK]
[2005.09.09(fri)]
[2006. Mar- MUSeUM]
http://www.nwp.co.jp
http://www.nwp.co.jp/studio_apartment/ |
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DJ/PRODUCER/REMIXER/COMPOSER/PROGRAMER
DJとして東京を拠点に日本全国、海外のクラブを中心に活動。2005年は、SHELTER(NY)でのDJを皮切りに、Winter Music Conference(MIAMI)への出演や、パリコレ(PARIS)でのDJなど、世界的規模で活動を展開。
制作活動は2001年からスタートさせ、映画「踊る大捜査線」のサントラ、PUFFY等のリミックスワークから、コンピレーションの監修及びミックステープシリーズ&ラジオ&有線等まで、様々なサウンドプロダクションを行う。
又、阿部登とのトラックユニット、STUDIO APARTMENTとして、様々なオリジナル&リミックス制作及び、メジャーアーティストのプロデュース&アレンジを行う。
1stアルバム『PARAISO TERRESTRE』、2ndアルバム『WORLD LINE』は国内外で高い評価を得、彼らの代表曲である「Flight」は、King Street Sounds(NY)からもリリースされ、BLAZE、Danny Krivit、Frankie Feliciano、Phil Asher、Rainer Truby達が選曲した海外の様々なコンピレーションCDにも収録され世界的ヒットを収める。そして、2005年7月には、Stephanie Cooke、Kenny Bobien、Joi Cardwell等を迎えたサードアルバム『PEOPLE TO PEOPLE』をリリース。同年12月には「We Are Lonely」のKing Street盤をリリースし、2006年も引き続き海外盤をリリ[スすると共に、STUDIO APARTMENT主宰のダンスミュージック・レーベル「Apt.」を設立。彼らが手掛ける新人、そしてイベント連動型MIX CDシリーズ『MUSEUM』のリリースが控えている。[2006.3月現在] |
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MINMI
-ミンミ-
[2004.08.13(thu)]
[西麻布伝説 2004.08.26(thu) / 04.12.23(thu) / 05.07.28(thu)]
http://www.minmi.jp/ |
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様々なイベント出演や、作品参加を経て2002年夏、1stマキシ・シングル「The Perfect Vision」でメジャーデビュー。グルーヴ感の強い個性あるトラックの上を、卓越したリズム感で軽やかに歌いながら嘗てないその存在感で、瞬く間に、日本のミュージック・シーンを席巻する存在になって行く。
作詞、作曲、プロデュースを全て行い、東京、大阪、Jamaica、N.Y.、L.A.にて制作活動を展開。2003年3月、1stアルバム『Miracle』、2004年6月には、2ndアルバム『imagine』をリリースし、共にロングヒットとなるが、その間も休む間もなく、シングル、アナログをリリースしている。
2004年9月からの全国9公演、MINMI LIVE TOUR 2004"imagine"を終えた後、10月からは、全国12ヶ所で行われたクラブ・サーキット・ツアー"Dela Move 2K4 日本縦断TOUR"に参加するなど、ライブ、イベントにも多数出演。
2005年7/27には、1stシングル「The Perfect Vision」〜「サマータイム!!」までのビデオクリップ7曲と、ライヴ映像ダイジェスト&ビデオクリップ撮影時のオフショットまでを収録したMINMIのベスト盤ともいうべき、この夏一番ホットなPV集『MINMI Video Clips 2002-2005 Summer』(VIBL-237)がリリースされる。[2005.07現在] |
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MATTHEW ROBERTS
(KING UNIQUE)
-マシュー・ロバーツ-
[2001.09.16(fri) / 2003.05.24.(sat) / 2004.09.04(sat)]
www.kingunique.com |
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マシュー・ロバーツという名前を聞いて多くの人はピンとこないかもしれない。しかし、もしあなたが、過去10年以上の間にクラブに行っておどったり、誰かのDJミックスCDを少しでも聞いたことがあるのなら、彼のトラックにダンスさせられた経験が絶対にあるはずである。Ubu 『Pixels』、Revival 3000 『The Mighty High』、Dirty 『Dirty』、そしてKing Unique『Sugarhigh』等数々のユニット名のもとに作られたこれらの曲はどれもダンスフロアでは馴染みの深いものばかりだ。中でもマット・トーマスとのユニット、キング・ユニ−クではUnderworldの『Two Months Off』、Mutinyの『The Virus』、Luke Slaterの『Nothing At All』等のリミックスヒットをたて続けに飛ばすなど話題は絶えず、常にチャートを賑やかにしている。そして間もなくドロップされるだろう待望のニューアルバムがアンダーワールドやケミカルブラザースを生み出したJuniorからのリリースとなれば次世代の大スターを注目している業界中の話題の的なのも納得できるわけである。現在ではサシャ、ディグウィード、スティーブ・ローラー、ダニー・テナグリアなどの大御所達がキング・ユニ−クの曲をスピンするのはすっかりセオリーのようなものとなっている。そんな、プロデューサーとしての才能を開花させるのに大きな影響を及ぼしたのは、古くからリバプールのスーパークラブCREAMのレジデントとして活躍していた、そのDJ活動だ。
『リミックスワークもトラックを作るのも、全てがDJするため、そして極上のバイブをフロア−に作り出すための準備にすぎないんだ』。15歳でハウス・ミュ−ジックに目覚めたマシュ−は金曜日のハシエンダ(マンチェスターにあった伝説のクラブ)をウォ−ムアップする為のパーティ『チェスタ−』で毎週木曜日DJを始める。こうして始ったダンス・ミュ−ジックとの人生は1989年以来、彼に音楽以外の仕事をさせてはいない。
今では、キング・ユニ−クとしては勿論、さらにはソロプレイヤ−として、マンチェスターのTribal Sessions、ノッティンガムのRenaissance、リバプールCream、そしてロンドンのTurnmills、The Endなどプレミアリーグクラブでは勿論、全世界で無数のクラバ−を踊り続けさせる。21世紀の最先端ノイズ・・・・。ハウスを根本にもちながらも、テクノ、トライバル、ポップ等を絶妙にミックスさせるジャンルの壁などとっくの昔にぶち壊したDJスタイル…。最新のヴァイナルは勿論のこと、U2からアンダーワールド、オールドスクールハウスまで、プロデュースの魔術師が持ち歩く世界で一枚しかないリエディットCD-RがPIONEER CDJ1000で次々とダンスフロアにドロップされる時、じっとしていることは不可能に近いかも知れない。[K.T./F.E.U・2004.8現在] |
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MASAKO
-マサコ- [Ci-pher]
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1980年よりダンサーとして多数のテレビ番組、アーティストのバックダンスやクラブなどで活躍した後、1989年よりSoul Barの老舗Temps RoppongiのレジデントDJとなりDJ活動を開始。
1999年には、お台場にあったSoul Train Cafe TokyoにてチーフDJに抜擢され、Soul Train Caf獅フスタイルを作り上げることに大きく貢献。また同時期から今日まで、FMラジオJ-Waveの「Soul Train Radio Show」にゲストDJとして出演。
2000年よりInterFMの「Joint One Radio Show」のMIXER・番組ディレクター補佐、同局の「Non Stop Music Sweep」の選曲を担当、2001年4月から9月、毎週土曜日にはシンガーのAIがホストする番組「Bounce」でDJ、選曲を担当。
他方多くのクラブで活躍する傍ら、2002年10月30日及び31日の化粧品MAC青山店にてキャンペーンイベント“Naked Spin”、2002年4月19日“J-Wave The Soul Train Live From Slow Life Gallery”、 2003年7月15日“DC World Premiere Tour in Japan Live from Club Harlem”などのイベントやファッションショーなどにも参加。
現在レジデントDJとしてNutsのAnything、レギュラーイベントとしてはNeo Pの“Unity”、Vuenosの“On Point”などを担当している。
その他、数々のテレビ番組や雑誌(Billboard Magazine/Street A Cars/Ollie Girls/Luire/BMR/Woofin’/ Low/Samurai/Thrill/Ryu Ha R.等)に取り上げられている。
[Delphonic Recordings]より4月27日にリリースされるラップアーティストQ-ILLのアルバム収録曲「Noah featuring Spinna Bill」をプロデュース、また [Farm Records] よりミックスCD『Soul Food WESTCOAST BLACK MUSIC』やWu WearのプロモーショナルCDを出すなど、幅広い活躍をしている。
SoulとR&Bを中心とした、聴いていて気持のよいsoulfulなmixが人気を呼び、多方面な人にそのプレイを支持されている。即ち、雰囲気を自在に作り上げることのできる実力派female DJである。[2005.4月現在] |
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Mitomi Tokoto
(CYBERJAPAN/JAPAN HOUSE MAFIA)
http://www.cyberjapan.tv/ |
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人気クラブ系ウェブサイト「CYBERJAPAN」のプロデューサーでもあり、『BIKINI
NIGHT』、『WHITE PARTY @ WOMB』、『PACHA JAPAN』、『YELLOW HALLOWEEN』等数々のイベントオーガナイズも手掛ける。また、世界的なアーティスト、DJ、プロデューサーを数多く日本に招聘。DJとしては、フランス&イビサの音を再現するユニークな音楽スタイルと、派手なハウスミュージックが身上。国内を始め、ヨーロッパ、アジアなど海外プレイも多数。2006年夏には、IBIZAの『PACHA』でDJ出演が実現。
2006年、音楽プロデューサー、リミクサーとしてのキャリアをスタート。 自身のレーベル「JAPAN MAFIA RECORDING」からJAPAN
HOUSE MAFIAの活動スタート。初リリースの『THAT PIANO TRACK』を手掛け、発売後わずか数日にして、CISCO総合チャート1位を記録。リリース前からイビサのハウスDJのビッグネーム達の間で話題に上り、ROGER
SANCHEZの一押しのトラックとなり、ROGER自身のラジオ番組「RELEASE YOURSELF」では、「UPFRONT TRACK
OF THE WEEK」と「HOT RELEASE OF THE WEEK」としてROGER自らがセレクトした。
その後、ヨーロッパの人気レーベル[PURPLE MUSIC]にライセンスされ、「HOLD ON -THAT PIANO TRACK」として発売、またたくまに数々のトップチャートにランクイン。
2007年7月、ヨーロッパの若手スターNo.1のAxwellのニューシングル『I FOUND U』の自身のリミックスを収録した日本限定盤は、メガヒットとなった。[2007.10月現在] |
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MIKE SHANNON
-マイク・シャノン-
[2005.08.20(sat) / 06.09.23(sat) / 07.06.30(sat)]
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卓越したスキルと独自の世界観、そして10年以上に及ぶ活動で、カナダのエレクトロニックミュージックシーンのキーパーソンとなった。キッチナー、オンタリオで育ち、15歳からDJを始めたMikeはアシッドハウス、テクノといったサウンドを原点に、様々な音楽に触れることで今日の研ぎ澄まされたプロダクションスキルを築き上げていく。アーティスト仲間と結成したPulse Productionsとして手掛けてきたパーティーではKevin Yost、Panty Tec(Zip)、Boo Williams、Slamといった数々の有名アーティストを招聘するなど、地元キッチナーのシーンを作り上ーていった。
1999年には自身のレーベルとして立ち上げた[Cynosure Recordings]からはこれまでに、Mike自身の作品はもちろん、Dead Beat、Mossa、Bucciといったアーティスト達の作品を発表してきていて、最近ではその実験的でありながらもキャッチーなさウンドは今国際的に評価されている。
2000年に行ったJeff Milliganとのヨーロッパツアーでは、その卓越したたスキルによるDJプレイと、刺激的なライブパフォーマンスによりヨーロッパの人達を虜にし、2001年ドイツ・フランクフルトのレーベル[Force Inc.]からオファーを受け、初のアルバム『Slight of Hand』をリリースするに至る。
以降、自身のレーベルはもちろんのこと、様々な有名レーベルからリリースを重ねてきたMike Shannon。プロデューサーとしても、DJとしてもそのスキルとセンスでもって着実に評価を高めて来た。ここ数年、にわかに注目を集めてきたカナダのテクノシーン、そしてclick technoというジャンル。その真ん中で、長年に渡り活動を続けているMikeは、まさしく現在進行形のアーティストである。[2006.9月現在] |
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MARTIN LANDSKY
-マーティン・ランドスキー- [2005.11.11(fri)] |
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Steve Bug、そしてPoker Flatからの刺客、Martin Landsky。アルバムリリースやコンピレーションのミックスを担当するなど、Poker Flatを拠点に活動を展開しているSteve Bugの秘蔵っ子。ドイツ、ハンブルグ出身のMartin Landskyがエレクトロニックミュージックに初めて触れたのは88年。当時ファンクをプレイしていたが、レジデントを務めていたクラブFrontがそのスタイルを変えるにしたがって次第にAcid HouseやTechno を選曲するようになっていく。TresoreやGlobus、Dschbarなど、ドイツ各地のクラブでプレイを重ね、99年にはベルリンに移り住むと同時に自身のレーベルIntim Recordingsを立ち上げ、翌年にはPoker FlatのパーティーでSteve Bugと共演する。その後は、01年にPoker Flatからアルバム"In Between"を発表。02年レーベルコンピレーション用のミックスを担当し、03年には出世作と言える"Reject"をリリース。さらに04年には"FM Safari"や"Fools (They Don't know the Time)"を最新のレーベルコンピレーションに提供するなどPoker Flatには不可欠なプロデューサーとなっている。[2005.11月現在] |
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MAX GRAHAM
-マックス・グラハム-
[2006.02.17(fri)]
www.maxgraham.com
www.shinemusic.com |
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UKに生まれ、スペイン、NY、LAに住み現在カナダ在住。HIP HOP、スクラッチDJとして活動をスタートしたが、94年ハウスミュージックに魅せられ、自らATOMICというパーティを主催、毎回6時間のロングセットでカナダのハウスシーンを形成する役目を負った。
DJ、プロデューサーとしてクラブシーンに名前を浸透させてきたマックス・グラハムの最大の売りは彼のDJスキル。プログレッシヴ、テクノ、トランス、ディスコなど幅広いダンスミュージックを駆使してファンキーなベースラインとエネルギッシュなリズム、アップリフティングなメロディで幅広いファンを魅了する。
プロデューサーとしても2000年から活動を開始、すでにオリジナルは30曲以上、手がけたリミックスは20曲を超える。「AIRTIGHT」「TELL YOU」のヒットでグローバルシーンから注目を浴び、2001年には早くも英DJ誌のTOP 100 DJ'Sで23位にランクインした。
今年はYESの大ヒット曲をフィーチャーした「OWNER OF A LONELY HEART」とボーカルトラック「I KNOW YOU'RE GONE」「TIME & AGAIN」がチャートを賑わした。レーベル[SHINE MUSIC]を主宰し、自身の楽曲ほかMADOKA、JASEfosなど新しいアーティストの作品を精力的にリリース。またサンダー・クライネンバーグのレーベル[Little Mountain]からMaxの楽曲がリリースされる予定のほか、現在BODYROCKERSのリミックスも手がけている。最新Mix CD 『DMC Mixmag Live』[DMC]が今年リリースされバランスのいい選曲と流れで話題になっている。[2006.2月現在] |
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MATHEW JONSON
-マシュー・ジョンソン-
[2006.09.23(sat)] |
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細分化し、ありふれた個性ばかりが目立つ今日のエレクトロニック・ミュージック・シーンにおいて、Mathew Jonsonはその突出したスキルと多様な音楽性で確固たる存在感を放っている 。
幼少の頃からクラシックピアノ、ドラム、パーカッションなどの楽器を学び、アナログシンセ、キーボード、シーケンサーを使ったエレクトロニック・ミュージックを作り始めた頃はまだわずか10歳だったという。近年、[Minus]、[Perlon]、[Kompakt]、あるいは自身が運営するレーベル[Wagon Repair]などから、精力的にリリースをしている彼のスタイルはこの頃からじっくりと、時間をかけて築き上げられていたのである。
これまでに手掛けてきたトラックはGilles Peterson、Richie Hawtin、Tiga、Sven Vath、Laurent Garnierといったアーティスト達に支持され、URB、FACT、DJ、GO、Raveline、Trax and Grooveといったメディアからは04年の"ベスト・プロデューサー"に選出されるなど、彼がアーティスト達に、そしてシーンに与えた影響は多い。また、最近ではCarl Craig、Danel Bell、Adam Beyer、Dj Kosi、Monika Kruse、Ricardo VillalobosらのミックスCDに楽曲が収録され、Chemical BrothersやMoby、Nelly Furtadoらのリミックスを手掛けるなど、テクノやハウスの枠を超え、幅広く支持されている。
テック・フュージョンなどと形容されるその独自のスタイルはテクノ、ジャズ、ドラムンベース、フュージョンなど、影響を受けてきた様々なジャンルが融合されている。ジャンルの融合、などという言葉はありふれた表現であるが、Mathewが他のアーティスト達と決定的に違うところは、他のミュージシャン達との即興セッションを行える演奏スキルの高さである。"Modern Deep Left Quartet"や"Cobblestone Jazz"などといった名義においては、その演奏スキルにより、ソウルに満ち溢れた世界観を作り上げていて、作品は勿論のこと、複数のアナログ機材を駆使する刺激的なライブも世界各地で支持されてきている。[2006.9月現在] |
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MUTABARUKA
-ムタバルーカ-
[2006.10.08(sun)]
http://www.mutabaruka.com/ |
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Mutabaruka(本名Allan Hope)は、1952年にジャマイカ、キングストンで生まれ、10代後半にはラスタファリズムに開眼。ELDRIGE CLEAVERの"SOUL ON ICE"やMALCOM Xの自伝等の本を読み、多大な影響を受ける。1960年代後半から1970年代前半にかけて黒人の意識改革を謳ったムーブメントに賛同した彼は、自らも ラスタファリアンとして生きていくことを決意。1971年にはキングストンを離れ、セント・ジェームスに移住。そしてSWINGという当時ジャマイカで 発行されていた雑誌に詩を定期的に発表する。1973年、詩集"OUTCRY"を発表し、ジャマイカでの名声をm実なものにする。
1981年には、ポエトリー・リ−ディング・アーティストとしてジヤマイカのレゲエ・シーンに登場。レゲエ・サンスプラッシュでの最高のパフォーマンスで絶大な評価を得る。1983年には[アリゲーター・レコーズ]から最初のアルバム『CHECK IT』を発表。その後[SHANACHIE RECORDS]と契約し、1984年には2ndアルバム『OUTCRY』、1986年には3rdアルバム『MYSTERY UNFOLDS』を発表。そこに収録された「DIS POEM」は後にNYのDJ、BOBBY KONDERSによってハウス・ヴァ−ジョンも制作され、一躍NYのクラブ・シーンでも大ヒットする。また、MARCUS GARVEYヘのトリビュートアルバムにも参加し、その後もアルバムを多数発表している。
ここ数年では、FRANCOIS K.のDEEP SPACEにライブ出演し、ポエトリー・リーディングを披露。また、[WAVE MUSIC]のアーティストBEAT PHARMACYのゲスト・ヴォーカリストとして「WATA(WATER)」を発表している。
ラスタファリズムを貫くそのスピリチュアルな姿勢は、彼のポエトリー・リーディングによるライブ・パフォーマンスで最も発揮されるはずである。[2006.10月現在] |
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MIGUEL MIGS
-ミゲル・ミグス-
(SALTED MUSIC)
[2006.11.22(wed) / 08.05.27(tue)]
http://www.saltedmusic.com/ |
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US西海岸のクラブ・ミュージック・シーンにおいて第一線で活躍するカリフォルニア/サンタクルーズ出身のMiguel
MigsことMiguel Steward。“It's music to listen to, not necessarily
to rock the floor at its peak”と自らのスタイルを語るとおり、彼の作りだすサウンドは、鮮やかで心地好いクラブ・ミュージックである。US西海岸を代表するハウス・レーベル
[Naked Music]や[OM]を中心にプロデューサー/リミキサーとして現在はサンフランシスコに拠点を移して活動を続けている。時は18歳、サンタクルーズにて結成したレゲエ・バンド“Zion
Sounds”においてリード・ギターを担当し、その傍らソングライターとしても活動していた。アフリカン〜レゲエなどのワールド・ミュージック・サウンドを追求した時期であり、Steely
Dan、Jimi Hendrix、The Cars、Prince、そしてA Tribe Called Questなどのファンでもあった。クラシック・ロック、ソウル、ファンクと90年初頭のヒップホップなどにも興味を示していた。そのバックグラウンドこそ、彼独自のヴァレアリックなサウンドの原点に違い無い。そして彼を囲む友人達にも恵まれていた。同じ拠点サンフランシスコにMoulton
Streetスタジオがあり、エンジニアを担当するJ-Jayが常にバックアップ。[Naked Music]レーベルのオーナーでもあるBlue
SixことJay Denesも彼の持ち味を見出し、同レーベルから数枚のシングルの他、アルバム『Colorful You』をリリースさせ、ヴォーカリストLisa
Shawなどが参加し話題を呼んだ。近年、Kaskadeなどで知られる[OM]レーベル内に自身のレーベル[Salted Music]を設立。リミックス・アルバム『Those
Things Remixed』やNRKの人気ミックスCDシリーズ『Coast To Coast』をリリースし話題となっている。ハウス・ミュージック・シーンに革命をもたらしたウェスト・コーストの雄、Miguel
Migsが新たな一歩を踏み出した瞬間である。[2008.5月現在] |
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MICHAEL MAYER(KOMPAKT)
-ミヒャエル・マイヤー-
[2007.03.20(tue)]
http://www.kompakt-net.de |
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1993年にスタートしたミニマルハウスの総本家と言えるドイツ/ケルンのレーベル[KOMPAKT]をWOLFGANG VOIGT、JUERGEN
PAAPEと共に設立し、レーベルアーティスト、レーベルマネージメントにおいて屋台骨的存在と言える人物。
ソロアーティストとしては、2004年にリリースされたキャリア初のフルアルバム『TOUCH』を始め、オリジナルトラックはもとより、DEPECH MODE、MISS KITTEN等を始め、数多くのリミックスも手掛けている。そして、MICHAEL MAYERの名を世に知らしめたと言える[KOMPAKT]からリリースされている2枚のMIX CD『IMMER 1&2』、またUKのビッグクラブ"FABRIC"が手掛けるMIX CDシリーズにその名を連ねる等、DJとして国際的に高い人気を誇り、ここ日本では、屋内最大規模のテクノフェスティバル"WIRE06"への出演が記憶に新しい。細分化を辿る一方のハウス〜テクノシーンにおいて、独自のセンスと先見性、音楽性を兼ね備えた数少ないDJの一人と言える。[2007.3月現在] |
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DJ MILO
-DJミロ-
[2007.11.23(fri)] |
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82年、イギリス西部ブリストルにて、DJ Miloを中心にNellee Hopper、Daddy Gが今や伝説となったDJ/サウンドシステム・ユニットThe Wild Bunchを結成。その後、3D、Wille Wee、DJ Mushroomが相次いで加入。The Wild Bunch解散後、Daddy G、3D、DJ MushroomはMassive Attackを結成。Nellee HooperはSoul II Soulに加入。よって、Massive AttackとSoul II Soulの母体となったのが、このThe Wild Bunchである。レコード・コレクターとしても有名なDJ Milo、持ち前の先見性と広範さを武器にして、当初はブリストルという土地柄もありポスト・パンク、ニューウェイヴ、レゲエ、ダブを中心にプレイしていた。そして徐々にジャズ、フュージョン、ファンク、ソウル、ディスコ、ガラージが加わり、映画“Wild Style”の影響を受け、エレクトロ、ヒップホップへと傾倒。彼は音楽のクロスオーヴァー化の先駆者的存在であり、究極のミクスチャー・サウンドシステムを創り上げたアーティストといえよう。制作面では、古くは[Major Force]レーベルからメガ・ミックスなどをリリースしているが、近年[Strut]レーベルからThe Wild Bunchのパーティを再現したMix CDや約20年のキャリアで初のオリジナル・アルバム『Suntoucher』を発表している。このアルバムは、ローファイなサウンドで深く広いサウンドスケープを持つ傑作として話題となった。現在はロンドン、日本を経由してNYブルックリンへと活動拠点を移し、真のアンダーグラウンド・ミュージックを追求し続けている。[2007.10月現在] |
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MERLIN BOBB
-マーリン・ボブ-
[1998.12.05(sat) / 2007.11.24(sat) / 08.06.07(sat)] |
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1991年、Timmy Regisfordと共にClub Shelterを立ち上げ、Timmyの兄貴分としてプレイしていたDJ、それがMerlin Bobbだ。80年代半ば、Tony Humphriesがレジデントを務めていたニュージャージーの伝説のクラブZanzibarでDJプレイを始め、1988年よりNYのラジオ・ステーション“WBLS”でミックス・ショウ「Saturday Night Dance Party」のDJを担当。NY中のダンス・ミュージック・ファンを彼独特の黒い流麗なミックスで魅了し、圧倒的な人気を博した。1991年、Timmy Regisfordと共にClub Shelterを立ち上げ、Timmyの兄貴分としてプレイしていた。あのTimmyがLarry LevanやTee Scott、Tony humphriesと並んで最も影響を受けたDJである。彼もTimmy同様、ラジオ局やクラブでのDJのみならず、A&Rとしても大活躍し、[Atlantic Records]の重役に就任、その後は[Electra]の副社長も務めている程の人物で、Missy Elliottのエグゼクティブ・プロデューサーでもある。DJとしても数年前よりShelterのアニバーサリー・パーティで復活し、昨年末はageHaで行われたThe Shelter Japan Tourに参加。ローズ・ルームで素晴らしいシェルター・クラシック・セットを披露し、往年のファンから大絶賛された。[2007.10月現在] |
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